078 入江泰吉旧居見学記

 
 
 写真家の入江泰吉の旧居が、今年の3月から公開されている。奈良市水門町の依水園に近く吉城川のほとりにある。旧居の前の道を北へ直進すると東大寺戒壇院につきあたる。奈良大和路の写真を撮り続けた写真家にふさわしい場所である。公開前の旧居を道から何回も見ているが、木造平屋建の外観はつつましい作りで周囲の茂るに任せた樹木に覆われていた。普段は人通りもまれな静かな環境でひっそりとした隠れ家のような印象を受けた。風貌から想像する写真家は物静かで目立つことを好まない人柄を感じさせるが、それにふさわしい住まいであると思った。
 8月2日(日曜)、旧居を尋ねた。まず寄せ棟造りの低くて大きないぶし銀の瓦屋根の豪壮さに目を奪われた。入江泰吉記念奈良写真美術館とはもちろん比べものにならないが、低い寄せ棟造りの瓦葺きというところが共通していて通じ合うものを感じる。改修前の旧居はもう記憶が曖昧になっているが、外観は面影をとどめながらもすべてが新しく立派になっているように感じた。あのくすんだ身を潜めるような佇まいに入江らしさを見ていた私には、立派な邸宅のようで少し違和感も覚えたのだった。
 玄関は土間がなく家の外の沓脱石からいきなり部屋へ上がる。興福寺の塔頭にあった茶室の離れが大正年間にこの場所に移築されたという。昭和24年に入江夫妻がこの茶室付き四間の建物を購入し、それを核にして建て増したのが旧居である。この特異な玄関は建物の由来を明らかにしている。そして入江がこれに改修を加えずにおいたことも憶測を誘う。
 玄関の間に上がると、右手に受付がある。台所があったスペースである。玄関の間の奥が客間である。数寄屋造りの床の間、低い天井、土壁、障子、ふすまが作る空間は、私のような還暦世代には昭和の日本そのものである。入江はこの部屋で編集者を迎え打ち合わせをしたらしい。その隣にはソファを置いた部屋がある。壁一面が書棚になっている。上司海雲、志賀直哉、杉本健吉、白洲正子、彼らもこのソファに座ったのだろうか。
 縁側を兼ねた狭い廊下が部屋を取り巻いていて、ガラス戸越しに庭が見える。太い幹(ケヤキらしい)がすぐ目の前に立ちはだかり、鬱蒼とした綠で視界は占められる。廊下に出ると低きに流れる吉城川が見下ろせる。入江家の敷地はそこまででほんの数メートルである。その先は借景で見通せない林のようだ。(後にGoogle マップで確かめると入江旧居の西側は林がひろがり、100メートル以上離れて建物が建つ。)まるで神秘な森の別荘にいるようだ。このとき私は了解した。入江が何故この場所を選びここで生涯を過ごしたのかを。私は入江の作品の大ファンである。その上、写真家が住みついた数寄屋造りの巣に籠もるような安息感に魅せられ、そのロケーションの虜になってしまったのだ。見学してそうもたたないうちにである。
 
20150805154719501.jpg客間のソファから廊下越しに庭を見る
 入江泰吉旧居を見学に訪れた日は、コーディネーターの倉橋みどりさんによる旧居ガイドと、建物を改修した徳矢住建の徳矢誠三氏の講話が予定されていた。
 旧居が公開されるに至った経過を簡単にたどってみたい。入江夫妻がこの場所に移り住んだのは昭和24年(1949)、入江44歳の時である。亡くなったのは平成4年(1992)、86歳であった。全作品が奈良市に寄贈されて奈良市写真美術館がその年にオープン。夫妻には子供がなく、妻ミツヱは平成12年(2000)に自宅を奈良市に寄贈した。市は市民を含むワーキンググループを立ち上げ活用方法を検討、その方針に基づき旧居を保存改修し公開に至ったのである。
 倉橋さんは編集者でワーキンググループの一員でもある。倉橋さんのガイドは、部屋を巡回して部屋の使われ方、調度品、夫妻の日常、入江の交友、趣味などに触れていく。茶室は茶の間として使われテレビが置かれていたという。その隣に雁行型に建て増しした四間がある。妻ミツヱさんの専用の部屋、茶の間からは元茶室らしいアーチ型のくぐり戸から出入りする。その縁側に使い込んだ木製の小さなテーブルと椅子2脚が置いてあった。茶の間の庭に面した廊下にもともとはあったらしく、夫妻は庭を眺めながらそこで朝食をとったという。コーヒーとフランスパンが好物だったらしい。
 並びは寝室だった。改修によりフローリングがされソファ、テーブルを置いた見学者用の休憩室になっていた。その隣が書斎とアトリエである。壁一面が作り付けの書棚となり、天井は中央が高くて左右に傾斜する。小さな座卓と座椅子が片隅にある。入江は普段はここに籠もっていたらしくて、ミツヱさんとの連絡用の電話、専用のトイレも設けていた。まさに俗世間とは隔絶された隠れ家である。
 書斎の奥にアトリエがある。そこは立ち入り禁止であったが、二面が全面ガラス戸の森に浮かぶサンルームのようである。ここで、入江は趣味のガラス絵、木っ端仏の制作に没頭したという。ロッキングチェアが置かれていた。チェアに腰掛け思案する入江の姿が目に浮かぶようであった。
 徳矢住建の徳矢誠三さんはまだ32歳と若い。パワーポイントを使って改修工事の入札から施工、竣工の全行程を説明された。専門的な話もあって全部理解できたわけではなく、あくまで私なりに理解して印象に残ったことを述べよう。
 旧居の核となった茶室が移建されたのが大正時代、建て増しされたのが戦後間もなくである。奈良市に寄贈されて無住となった期間も10年を超えていた。建物の朽ち具合はひどかったが、正確なところはわからない。しかも耐震基準などない時代の民家である。公開するとなれば、民家でありながら公共施設として現在の基準をクリアしなければならない。大半の業者が尻込みする中で、若き徳矢さんは勇敢にも困難な課題に挑戦したのであった。
 現場に面した道路は狭く、敷地は広い割には傾斜地が多く、工事スペースを確保するのに苦労した。そのため、庭のケヤキやクスノキの大木を伐採した。改修した旧居への私の第一印象が邸宅とも見える意外な豪壮さであることは前述した。改修前の旧居を覆い隠していた庭の樹木が取り払われて、建物が露わになったということもこの印象の一因のようだ。
 解体修理ではなく、建物は建ったままで補強するという方法だった。しかし、新築に等しいほどの補強が必要でしかも元の建物を生かさなければならず、その兼ね合いで手間と知恵が余計にかかっただろう。基礎は全面に鉄筋コンクリートが施され、その上に新たな土台が伏せられた。屋根は解体され腐朽した隅木、垂木は新調した。パネルや金具を用い、壁を新設して耐震構造を高めた。
 面白かったのは、改修前と改修後の同一箇所が写真で比較して見せられたことだ。元の住まいの雰囲気をできるだけ忠実に残すといっても、朽ちかけた家とリフォーム後では見違えるほど内外美しくなっている。生前の入江泰吉を偲ぶためにも、Before&Afterのアルバムはぜひ旧居に備えて見学者の閲覧に供して欲しい。また工事の過程が詳しくわかるアルバムもあればいい。できれば、PDF化してホームページにUPしてもらえばいうことはない。
 改修にかかった費用は6800万円。入江泰吉は滅び行く大和路の最後の輝きをこの上なき美しい作品に記録した。時間がたつほどに価値は増すだろう。旧居が保存され公開されたのは、入江を偲ぶまたとない手段を手にしたことだ。関係者の苦労と努力に感謝したい。庭にはもみじが多いという。客間のソファに座って四季それぞれの窓からの眺めを楽しみたいと思う。そして、あの神秘で深い森の借景がいつまでも変わらないことを祈ろう。                        (2015/08/06記)
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